イェコムの最大不自由上限帯
前の記事から361日も経ってるよ!どうなってるんだ!
というわけでななみつです。
あたいは元気ではないです。ねこです。
さて
さてさてさて
久々にここに何か書く、というのに、ちょっと暗い話をするよ。
あたいが人間をあまり良く思わない、大きな原因を作った昔の出来事について話すよ。
なんで急にそんな事を書き出すかっていうと、タイムラインにちょっと「それは色々と危ない創作じゃねぇかなぁ」と思う物が流れてきたから。
単なるお節介なんだけどね、あたいはちょっとそういう、「怖いな」と思う表現の方法がいくつかあって、それを絶対に避けるようにしている。
そのうちの一つが、「相手の預かり知らない原理で相手の創作物を扱う」事になる。
うちの子勢の方には、「自分の世界のルール(世界観)で、他の人のキャラを動かす」と説明すれば、その取扱いの危険性が何となく分かって頂けるであろうか。
十数年前、つまりあたいがまだ生まれておらず、一人の名前を損失した人間の生命が虚ろに漂っていた頃、あたいの元になるその存在は、小さな小説投稿コミュニティに所属して、細々と奇妙な文章を書き綴って、どうにか生命を繋いでいた。
今思えば、他のユーザー間との距離感は適度な物だったように思う。
それで良かったのだが、ある時ちょっとした事件が起きた。
「あなた(ユーザー)を擬人化して小説に出します」、という事をやり始めた人が居たのだ。*1
これ自体は切欠にすぎない物であった。
この試み自体は大きな歓迎を受け、「是非出して欲しい」、という声が相次いで届けられていた事を今でも良く覚えている。
最初の数話までは良かったのだが、ある時そのミスが発生した。
とあるユーザーの擬人化したキャラを、盛大にキャラ崩壊させて描いてしまったのである。
描かれた本人は、「なんだよこの俺はwww」的なコメントをするに留まったが、「キャラ崩壊がある」とか、当人に「こんな描写を入れたいが、問題は無いか?」という了解の一つも無かったという事実は、客観的に受け入れられる事では無かったらしい。
すぐさま非難の嵐が吹き荒れ、即座に謝罪するに至ったのだが、それでも批判(ここまで来ると最早罵倒に近い)が収まらず、最終的に、この企画を立ち上げたユーザーは、これまで書いていた物を全て消去してコミュニティを退会するに至った。
確かに、彼(或いは彼女)に非があった事は否定できないだろう。
しかしだからと言って、その非を認めて謝罪した人間を更に責める権利など、当人以外の誰が持ち合わせているのだろうか。
その時の人間の風化した物であった存在は、特に何も思う事が無かったが、今、こうして見つめ直してみると、あたいの人間に対する不信感はこの辺りから感じる事が多い、と感じる。
仮に謝罪をして、然るべき処置をした後でさえも、その罪を詰られ石を投げられるのであれば、そもそも謝罪なんていう概念自体に意味など存在するのだろうか、とそんな風に思うのである。*2
まあ、確かに「お前本当に謝ってるのかそれは」って人いるけどね。
なかなか人間というのは難しい物である。
そんな風に思いつつ、とりあえずこの辺でしめておく。
どう生きるのが正しいかなんて、結局その人に依る事でしか決められないんだし、ね。