メーヴィエルの再生定理
タイトルに大きな意味はない
雨が多くて外に出るのも大変だね
あたいは自他共に認める雨男だし、別に雨に濡れるのも嫌いではないので別に構わないのだけれど、ザーッって降ってると流石に傘を用意しなきゃならなくなって面倒だね
暑い夏が秋雨に宥められて白銀の冬へと変化していくのかな、なんて想うと少しは気休めにならない。
特に書くことがないので、このまま終わってやっても面白そうではあるが、
冷静に考えた結果あたいが下した結論は「どうしてそれを面白いと想うのか」だったので、世界観を作っていてちょっと気にかかった事をひとつ。
何が気にかかったかというと、あまり難しい事でなくて、
「何を以ってして世界が滅んだとするのか」
というたったそれだけの極めて単純で簡易な事なわけでして。
あたいの世界観の中で滅んだ世界は腐る程あるのだが、
一度だけ、たった一度だけ、世界の上の更にその上にある概念が滅んだ事がある。
というか、それがこの記事のタイトルにあるメーヴィエルという場所なのだが、
そこは一度滅んで、再生をしている。
世界を複数孕んだ大きな世界が滅んだ状態というのは、
どういう状態を言うのか、という疑問が起こったのだ。
1番分かりやすいのは、この現世の人間がエントロピーと呼んでいる代物が全て消失してしまった状態が、全ての世界について適用できる場合だろうなぁ、と考えた。
だが、そんな誰にでも分かるような単純な場合を挙げても何も面白くないので、
他の場合を考えてみる。
一応、あたいの世界観では、世界を創った奴がいる(神でも創造主でも、まぁなんか理解しやすい物で置き換えてくだされ)ので、滅んだかどうかを決めるのはこいつになるわけだが、簡単の為、それを決定する主体を、その世界に存在している存在の1つにしてみる。
まあ、我々の今住んでいるこの世界が滅んだかどうかを、他でもない貴方が決められるのだと考えてみて頂きたい。
間違えないで頂きたいのは、貴方が決めるのは「滅んだかどうか」であって、「滅ぶかどうか」でもなければ「滅ぼすかどうか」でもない。なんだったら「滅ぼしたいかどうか」でもない。
話をややこしくしない為に、貴方の生命が失われた時に、貴方の存在その物が消失する事は考えなくてよい。
要は、貴方が死んだ後でも、貴方は貴方が元いた世界を観測し続ける事が可能であると考えてよい。一部の人間の考える「魂」とか、まあ何か分かるように理解して欲しい。
で、それが保証された時、貴方はどうなったら世界が「滅んだ」と考えるかをちょっと想像してみて欲しい。
結構色々出てくると想う。真っ先に出てきそうなのは「地球が滅んだら」である。
どうなったら地球が滅んだとするのか、というのも千差万別だろうが、「人類が滅んだら」と考える人は少なくないように予想できる。
ビッグチルやビッグクランチが起きて、宇宙が滅んだら、と考える人もいそうだ。
早い段階なら、生命を維持する為に必要な物(水とか)が全部なくなってしまったら、と考える人もいそうだ。
別に、どう考えたら何が良いとか悪いとかではなく、色々ある、という事が大事だ。
で、次に判断の主体を、その世界を創った奴に当ててみる。
こいつが世界を滅んだかどうかを判断する為に我々が何を知る必要があるだろうか。
あたいは、「そいつがその世界を生んだ目的」であるように想う。
なぜなら、それが分かれば、世界を滅んだと判断する、基準の1つが設けられる事が予想できるからだ。
もし世界を生んだ目的があるならば、世界が滅んだと判断できるタイミングに、「その目的を世界が果たせない状態になってしまった時」という物を挙げられるようになる。
「その世界を生んで維持する理由」でも良さそうなのだが、その「理由」だとちと面倒な事が起こる。
仮にその理由が無くなったとしても、それを「世界が滅んだ」タイミングと見なしてよいかどうかは相当な疑問が残る。「世界を滅ぼす」タイミングにはなるかもしれないが。
ここまで書いてきたように、「滅ぶ」という概念は、殊の外複雑でかなり曖昧なものである。
で、滅んだかどうかを判断する対象である「世界」も、これまた複雑で曖昧だ。
そう考えると、「世界が滅ぶ」って、相当に曖昧な事を言っているなぁ、といつだか思ったのが、最初の疑問に繋がった。
「世界」1つで考えても曖昧なのに、その「世界」がいくつもまとまってできた物が滅ぶとなれば、どれだけ複雑になるのかなぁ、と。
考えても答えは出ないし、そもそも正解など無いように想うので、考えるだけ無駄と言われてしまえばそれまでなのだが、分からないで自分の中だけの問題にしておくのもそれはそれで惜しいので、なんとなくここに置いておく。
まぁ、中華料理屋に行って麻婆豆腐が出て来るまでの暇な時間にでも考えてみると時間潰しにはなるかもね。
そんな事書いたら麻婆豆腐食べたくなった。
そのうち食べに行こう。